2014年7月6日日曜日

「はると先生の夢色TUTAYA日記」4

(c)東宝
7月10日

『人情紙風船』1937年 

監督/山中貞雄
原作/河竹黙阿弥
脚本/三村 伸太郎
出演/河原崎長十郎
   中村 鶴蔵
   中村 翫右衛門
  (前進座総出演)




(c)東宝
今までに何人かの映画関係者から最高傑作であると聞いていたが(そのうちのひとりは山本政志監督だよ)最近になってようやくDVD化されたらしくやっと観る事ができました。

監督の山中貞雄氏はこの映画を作った後日中戦争に出征後28歳という若さで戦病死してしまったそうでしかも作品の多くは戦争で焼けてしまい、残ったフィルム はこの映画の他2作品だけというあまりにも不遇な映画監督であった。といった情報は作品を見た後に知った事なのだが、それはともかくあらすじはネットに出ていたものを引用させていただくと




 とある長屋で、自殺があった。老武士が首をつったらしい。しかし、住人たちは、その死を悼むよりむしろ「通夜」を口実に酒宴をしてしまう、そんな刹那的な連中だった。元は髪結いで、今は賭場を主宰する不良住人・新三(しんざ)が率先して仕切る。
 長屋連中総出でドンチャン騒ぎをする中、一人だけ参加せずに傍観している男は、浪人・海野又十郎である。海野は、再就職のための活動をするよう、妻にせっつかれている。妻は紙風船張りの内職をしていた。

 宴会から一夜あけた翌朝、海野は亡き父の手紙を携え、毛利という武士を訪ねた。毛利は、海野の亡き父に恩を受け出世した人物だった。その息 子である自分が頼めば、きいてくれるに違いない。・・・毛利の横に随いて歩きながら、自分の再就職のお願いをしようと必死の海野。しかし、毛利は「今は忙 しいから。この店に用事があるから」と取り合おうとしなかった。「それなら、お玄関でお待ちしております」と、なお食い下がろうとする海野だった。
 毛利が用があるのは、質屋の大店である白子屋。この店の娘・お駒と毛利の仕える家老の息子との縁談をまとめれば、毛利自身の出世の足がかりになり、白子屋も武家閨閥を得られる。かくして、お駒自身の気持ちと関係ないところで画策は進んでいた。当のお駒は若番頭の忠七とデキているのだが。・・・

 白子屋は、また、ヤクザの弥太五郎源七一家ともつるんでいた。白子屋がクレームなどの面倒なときのために、用心棒がわりに抱えこんでいる関係である。この日は、毛利につきまとう海野を追い払うために弥太五郎一家を動員する白子屋であった。
 さらに、弥太五郎一家は、自分たちの縄張りを勝手に荒らして私的に賭場を開く新三のことも痛めつける。
 こうして、長屋の隣人同士である新三と海野は、白子屋−毛利−弥太五郎一家というトライアングル・コネクションにそれぞれの事情で怨恨を抱く。

 縁日の夜は雨だった。海野が毛利に再就職の件を再度頼もうと白子屋で待ちぶせしていた頃、新三は縁日の寺でお駒を見つける。そして、ある悪だくみを思いついた。
 新三は、お駒を拉致した。妻がちょうどその晩に外出していた海野は、新三が連れこんだお駒を、行きがかり上、自分の部屋にかくまうことで結 果的に誘拐の片棒をかつぐことになった。白子屋のお駒をさらえば、政略縁談を押し進める毛利が困る。白子屋の用心棒である弥太五郎一家も困る。嫁入り前の 娘に悪い噂がたつのを避けたい白子屋としては、番所に届け出るわけにもいかない。・・・
 これは、単なる営利誘拐ではない。新三にとっては、自分を目の敵にする弥太五郎一家に一泡ふかせるチャンスだ。海野にとっても、自分を邪険に扱った毛利にささやかな復讐をするチャンスとなる。
 たまたま利害の一致した二人の男が、損得でなく意地とプライドをかけて敢行した拉致。果たして、吉と出るのか、凶と出るのか!!??

http://www21.ocn.ne.jp/~kobataka/cinema/kamihusen.html



  
といったお話であります。で感想を述べさせて頂くと江戸時代の貧乏長屋で起きる人間模様。権力側(武士、質屋、やくざ)と恵まれぬ生活環境に活きながらもしたたかに生きる長屋の人々と髪結いの新三の大胆な抵抗といった、やくざ映画等によくある展開ではあるのだが、物語のもう一人の主役である浪人、海野又十郎のプライドは高いのだが、落ちぶれて情けない状況なのにそれでも気品を保とうという姿勢なのに結局どうにもならない可哀想な姿がどうにも心にやきついてしまってならない。武士は喰わねど高楊枝とはいったものだがかっこばかりつけても貧乏で駄目なやつはやはりだめなのだ。

それに比べて町のチンピラのように出鱈目だが粋でクールな人情家の髪結い新三がなんともかっこ良いではないか。しかもかなり色っぽい。白子屋の娘を誘拐して抵抗する娘を平気でひっぱたいてしまう慈悲の無さにもアウトローの覚悟が垣間見えてよい。いっそうの事、お駒を縛ったままレイプでもしてしまえば別の意味でも楽しめたのかも知れないが、それでは映画自体の意味がまったく別のものになってしまうので、それは飛躍し過ぎた意見ではあるということは当然自覚しています。

なにはともあれ私にこの名作をなんだかんだと論じる程の知識も洞察力も皆無でありますが、なんと言っても役者陣の存在感が個々にエッジが立っていてよいなあ、と思いました。演出の問題かも知れないし、時代的に全員まったく顔も見た事の無い役者達の芝居を観たせいなのかもしれませんが。

出演していたのは前進座という歌舞伎劇団で、これもまた相当な老舗であるが思想がらみで色々ややこしそうで非常に興味深い。ちなみに海野又十郎役の四代目河原崎長十郎は共産党員でその後毛沢東主義派として除名されて以降、中国共産党の大衆工作に専念。といった経歴の人らしくよくわからないが感緒深い。2012年まで吉祥寺で前進座劇場というのがあったらしく現在でも他所で劇団の活動は行われているらしい。今度観にいってみようかしら、たぶんいかないけどね。お金ないし。

山中貞雄監督の現存する他の2作「河内山宗俊」「丹下左膳余話百萬両の壺」もぜひ観てみたいなとおもいます。DVD化されてればいいのですが。  ☆




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