2015年1月21日水曜日

「はると先生の夢色TSUTAYA日記」6


(c) レントラックジャパン
11月26日

『ヨコハマメリー』2006年

監督/ 中村高寛 
出演/永登元次郎、五大路子、杉山義法、清水節子、広岡敬一
   団鬼六、山崎洋子、大野慶人他 

企画制作/人人フィルム 

写真/森日出夫

     

もうずっと昔、小学生の頃オフクロの店がらみの集まりがあり(たしか常連のお客さんのホームパーティーみたいな席で)横浜出身のちょい面白いお兄さんがまだ子供だった自分と兄の世話役をしてくれた事があった。
彼の話は非常にくだらなく、例えば○○社で売っている空気銃はバネを変えると殺傷能力があるとか、中区の富士見中学と平楽中学の間での抗争では毎年何人も死者がでるとか、カマキリの雌のお腹の部分は食べると実は甘くて美味いとか...今思うとこっちが子供だからといってあまりにもばかにしすぎたような最低な話ばかりだったのだが、彼の得意げに話す口調とある時には真剣な表情を浮かべながら熱弁する迫力に惹かれ(騙され)てしまい何気にそのお兄さんのどうしょうもない話を、学校に行ったとき等、クラスメイト達にまるで自分が経験し良く知っている事のように話して聞かせたものだった。
彼から聞いた話の中で当時の私を強烈に惹き付けたのは「伊勢佐木町のオデオン前に、塗りかべババアという八十歳位だけど顔中に分厚い白粉を塗りたくったミニスカート姿の人物が存在する」という話だった。
お兄さんの受け売りで訳の分からない話を同級生達にしつこく聞かせるのが妙な快楽になっていた私は当然のようにその後ホラ吹き呼ばわりされて、先生や父兄達からもアノ子とは遊んじゃいけませんという対象になってしまい、上級生や少し乱暴な趣向のある子供達の恰好の標的にならざるを得ない立場へと以降する事を余儀無くされてしまった。
高学年になってもその立場は変わらず、使いっ走りとか八つ当り要員として何とか集団の中に窮屈な居場所はあるにはあったが、そのポジションには当然納得出来る訳も無く、でも虐められるのは嫌だったので、なるべく余計な自己主張はせずに皆で遊ぶ時はまわりの様子をうかがいつつ参加するように心がけていた。

ある日上級生の誘いで数人で自転車に乗って横浜スタジアムに野球を観に行くという企画が提案された。私は大洋ホエールズになんかまったく興味ないし自転車だと2時間近くかかる徒労にかなり嫌気を感じていたが権力関係に支配されざるを得なかった当時の状況に逆らえる筈もなく、朝6時起きのその理不尽な要求に反対する権利も12段変速のドロップハンドルの自転車も私は何も持ってはいなかったのでした。
保土ヶ谷を過ぎて横浜駅付近に到着した頃になると足が疲れてホントに嫌だったが、ようやく目的地付近にたどり着いた私たち一行は伊勢佐木町に百円で食べられるラーメン屋さんがあるという誰かが言い出した話に乗って、行ってはみたがそんなお店は何処にもなくて腹を減らせたままゲームセンターに行くなどして野球の試合が始まるまでの時間を伊勢佐木通りで過ごしていた。
ゲーセンでは仲間の誰かが大量に増やしたメダル(換金は出来ないがプールは可能)を地元の中学生(富士見中)に全部カツアゲされてしまい、私達の中で一番偉そうにしていた上級生も完全にびびりまくっていたので少しザマアミロだった。
メダルと1人百円ずつの金を捕られてがっくりと項垂れて自転車を押して歩いている間は誰もが押し黙っていた。そんな時、松坂屋の前にポツンと座っいる真っ白な老女が圧倒的な存在感を醸しながらも街の風景の中を佇んでいた。
皆見てはいけないものを見てしまったかの様に一瞬足を止めはしたがそのまま横浜スタジアムまでの道を終始無言で歩いていった。
これが私とメリーさんの出会いとは言えないが初めての出会いだった。他の人たちはどうだったのかわからないが私は野球観戦中も、長い帰り道の途中でもメリーさんを見たときの衝撃が覚めずにいたようだ。
「ぬりかべババァ」の話を聴いてから一年以上過ぎていたが、私が(本当は只の聞きかじりであったのだが)皆に得意気に話して聞かせた話が実在する事が立証されたのも嬉しかった。何よりもメリーさんの異様ながらも強烈な姿そのものが私の心に深く焼きついていたのかも知れません。
それからたまに関内や伊勢佐木町、横浜高島屋などで何度かメリーさんを目撃した。中学を卒業して馬車道の日本料理店で見習いをしていた時は、ほぼ毎日有隣堂のベンチに座るメリーさんに遭遇していた。 一度だけ休憩時間にメリーさんに話かけた事があった「おばさんは何をしているの?」という私のちぐはぐな質問に金魚の絵柄の入った黄色い着物を着たメリーさんは毅然と無視をしてベンチから立ち去ってしまった。失礼な事してしまった罪悪感とシカトされてムカついた気持ちを混合させながらも、着物姿の上品な後ろ姿を目で追いながら、やはりあの人はただ者ではないと実感した。実は大金持ち、とか横浜中の売春婦の総元締めであるとか、昔はマッカーサーの恋人だったとか、相変わらずメリーさんの伝説は皆勝手に語っていたが、そのどれもが本当であってもおかしくない位にメリーさんは圧倒的な謎のオーラを放っていたのであった。

まえおきが長くなってしまったが映画の内容は大体こんな感じです。

「歌舞伎役者のように顔を白く塗り、貴族のようなドレスに身を包んだ老婆が、ひっそりと横浜の街角に立っていた。本名も年齢すらも明かさず、戦後50年間、娼婦としての生き方を貫いたひとりの女。かつて絶世の美人娼婦として名を馳せた、その人の気品ある立ち振る舞いは、いつしか横浜の街の風景の一部ともなっていた。“ハマのメリーさん”、人々は彼女をそう呼んだ。1995年冬、メリーさんが忽然と姿を消した。自分からは何も語ろうとしなかった彼女を置き去りにして、噂話は膨らんでいく。いつのまにかメリーさんは都市伝説のヒロインとなっていった。そんなメリーさんを温かく見守り続けていた人達もいた。病に侵され、余命いくばくもないシャンソン歌手・永登元次郎さんもその一人だ。消えてしまったメリーさんとの想い出を語るうちに、元次郎さんはあるひとつの思いを募らせていく。映画「天国と地獄」の中に登場する「外人バー」。そのモデルとなった酒場が、戦後、進駐軍の米兵や外国船の船乗りたちで賑わった大衆酒場「根岸家」だ。客は外国人、やくざや愚連隊、街の不良、米兵相手の娼婦「パンパン」、果ては警察官といった面々だ。無国籍感漂う雰囲気の酒場「根岸家」に集まり、夜な夜な饗宴を繰り広げていた。その当時、メリーさんは“パンパン”として根岸家に出入りし、ライバルたちと熱いバトルを繰り広げていたという。本作に出演するのは、メリーさんと関係のあった人たちや思い入れのある人たち、そして昔の横浜を知る人たちである。それらの人たちのインタビューや取材により、“メリーさん”とは何だったのか、彼女が愛し離れなかった「横浜」とは何だったのかを検証し、浮き彫りにしていく。」(Mvie  Walker より抜粋) 

ドキュメンタリーであるため、映画はメリーさんと親交が深かったシャンソン歌手の元次郎さんを語り部に彼女との思い出や末期癌に蝕まれた元次郎さん自身の事、メリーさんが通っていたクリーニング店や美容室の店主へのインタビュー。古くから横浜の街とともに生きて来た人達の話や、五大路子、清水節子、団鬼六、大野慶人、山崎洋子等、作家や文化人の話と横浜の街を写した映像や写真等で構成されている。

1995年に横浜から姿を消したメリーさんの事は私もそうだがきっと誰もが亡くなっていたのだと思っていたようだ。まるで古い建物が取り壊されてそこに新しい高層ビルが建ち風景そのものが変わってしまっても、人は何の気無しにその新しい景色を受け入れてしまうかのように。メリーさんが居なくなっても直接の付き合い等なかった人達には噂話のネタ位にしかメリーさんに関心を持ってはいなっかただろうと思う。

しかしメリーさんは実は生きていた(この映画の公開当時は.)ラストシーンで岡山の養老院でひっそりと暮らすメリーさんを訪ねた元次郎さんは慰問先で皆に歌を聴かせる。
元次郎さんの歌う「マイ.ウェイ」はまさにメリーさんに捧げられる為の歌なのであると思う。元次郎さんはゲイボーイのシャンソン歌手として固定のファンは居たようだが決しって有名歌手では無かったたのだろう。だが御自分の店を持つ等経済的には安定した暮らしをしていたようだ。

メリーさんはあの頃の時代の横浜人なら誰もが知っている超有名人だったが住む家も無く
晩年も娼婦として生計を立てていたらしい。ちなみにメリーさんが現役の娼婦だと聞いたとき一体どんな人があの人をわざわざお金を払ってまで買うのだろうか?と非常に大きな疑問を感じたが、私が18か19の時福富町で働いていた時期にGMビル付近で夜は何時も寝ていたメリーさんが朝になると酔客を相手にあの甲高い声で「お兄さん千円ちょうだい、千円ちょうだい。」とねだっているのを見てメリーさんの謎が少し解けた事を知り合いに話すと「おれはメリーさんに五千円で車の中で尺八して貰ったことがある。あの人は総入れ歯だからなかなか気持良かった..」等とこれまた嘘か本当かわからない話を聞かされ暫くの間メリーさんの事で頭が一杯になってしまった時期もあった。

話は逸れたが、元次郎さんが、あれほどメリーさんのお世話をしたり金銭的にもささえようとしたのは、きっと末期癌に蝕まれ歌い手として最期を全うするためにメリーさんの「輝き」をわけてほしかったのではないだろうか?そして御自身も輝きたかったのではないだろうか?そんな気がしてならない。でもそれは少しも不快ではない。

エンディングテーマである、渚ようこ女史の伊勢佐木町ブルースもかなりいいが、元次郎さんの歌もとても素敵だよ。何と言うか..音楽では無く「歌」なのだ。

この映画は当然公開時に観ていたのですが、あえて何度もみた感想としては、奇跡のようなノンフィクション。でもそれはメリーさんという圧倒的な題材あっての感動であるのだろう。

物語は何度も観ているうちに計算されたファンタジーとして少々残念ながら私の中では
消費されてしまう。

しかし劇中に投入されている写真(森日出夫氏の写したメリーさんの写真は勿論だが)終戦直後焼け野原の横浜、根岸家の洋パンボス、ミス.ジュンや店内の様子、根岸外国人施設の混血児達が写された写真達に想像力と写真の可能性をこんな私でも貰えたと思う。
この時代にこの場所に居れた人達がとってもうらやましいけど仕方が無いし写真をもっと見てみたい。

渡辺克己さんの事を思い出した。

今日はこのへんにしておきます。ではまたね。 ☆

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